未知のことに触れるということ。
- Nezumi Fukuda
- 2015年7月2日
- 読了時間: 5分

富岡製糸場、菖蒲のポタリングでは、これまでと少し変わった形でページを作ってみた。
別に疲れたわけでも飽きたわけでもないけれど、文の量を減らしてみた。
面倒ということも否定はしないけれど、わくわくを残すべきかなというところが一つある。
登山なんかでもそうなのだが、あまりに多くを書きすぎているガイドブックっていうのは良くないと思っている。
未知であるということは楽しいのだ。
もちろん、下調べは大事だ。特に登山では調べずに行けば死ぬ。自転車だって、人の迷惑になることもある。自分の脚力に見合わないルートを行ったり、サイクリングロードみたいに自転車を誰かに修理してもらえることをあてにして山岳ルートに行けば残念なことになる。
それでも、山登りなんかで登山道じゃないルートなんかを行ったり、雪山に行ったり、沢登りをしたり、壁を登ったり。そういう発展形の遊びをする人たちっていうのは、やはり未知のものを求めているからなのだ。
未知の世界は楽しい。
旅行ガイドブックでも、ロンリー・プラネットっていうのが世界で最も人気があるのだが、この本は実に写真が少ない。非常に細かいところ、地元住人でさえ知らないようなことまで書いてある名書なのだが、旅行のネタばらしのようなことはしない。
未知の部分を残しながらガイドするというのが、最も素晴らしいガイドブックだ。
そういう点で、Googleのストリートビューとかって良くない。
というか、スマートフォンって駄目だ。
すごい便利、便利過ぎる。
まあ、便利なので使うんだけど。
僕の初めての一泊以上のサイクリングは神戸までだった。倉敷から神戸。200kmほどある。ママチャリ乗って。
サドルをぐいっと上げるだけでもママチャリも意外なまでに遠くまで僕らを運んでくれる。
まだスマホのない時代だったし、金もなかったから、コンビニで地図を立ち読みして、自分の所在地が分からない時には、店員さんに聞く。
「どう行けば姫路に着けますかね」
「どうかな、自転車で行ったことはないけど、車ならこの道をこう行けば行けると思うよ」
別に地図を買うわけでもないガキに親切に教えてくれる人の方が多かった。
そういうやりとりは、岡山~東京、岡山~鹿児島、アルゼンチン。至るところでやった。
で、その通り行くととんでもない坂だったり、わけわからない迷子になったり。
そういうのって、すごく楽しかった。
僕の中で自転車が好きなのって、そういう無鉄砲さを許してくれるところっていうのもあるかもしれない。
登山だと、致命的になるような失敗でも、自転車って自動車が通れる道しか走れない分、そこまで致命的なことにならない。
もちろん、問題の最中にあるときには本当に困るんだけど。
まあ、そういう理由であまり細かく書くのは辞めようかなってことにした。
実際に行ってみて、困ってもらえるところを出来るだけ多く残したい。
あとは、空白を埋めるような作業になるのが好きじゃないっていうのもある。
空白があるって、よろしくない。だから、無理にでも空白を埋める。
そういうのってよろしくない。
あれこれ思うところあって、シンプルにスライドショーに短い文だけ添える形に変えて行くことにしてみた。
問題点としては、スマホでの閲覧が難しいってことくらいか。
これは割と致命的な問題。
でも、スマホでは写真と地図だけ眺めるくらいでも良い気もする。
それ以上のことは、やはりしかるべき画面サイズでゆっくり時間を割いて見てもらうのが良いんじゃないかなって。
スマホが駄目なんてことを先に書いてしまってけれど、結局は人間ありきの問題だ。
いかにスマホで知り尽くした道でも、コンビニでジュース一本買うにも人と話す。
自販機で買うように、人間と話すようになったら、人間って悲しい。
昼飯を食うにしても、店主が不意に話し掛けてくることもある。
自転車で来た人間には、
「どこから来たの?」
って聞きたくなるのが人間だ。
そこから話が始まる。
そこから面白いものを得られることがある。
それは、その人が話したいと思える人かどうかだ。

寝室のドアと犬。Hotel de スラム at Argentina
僕なんかは乞食性みたいなところがあったのか、よく人から缶コーヒーなんかをもらえた。若かったからだろうか。
でも、そうやって会話が始まって、予期せぬ場所を教えてもらえたりもした。
Hotel de スラム。
そんな宿も彼らが不意に教えてくれた。僕が勝手にそう呼んでいるだけの宿なんだが。その町にはホテルがなくて、宿の代わりにレストランの家の一室に泊めてもらえた。アルゼンチンのCoblidoみたいな名前の町にある。その町の若い人々は高校以上になると隣のバイアブランカの学校にバスで通う。町と町の間には砂漠みたいな地平に道が一本。
僕の止まったHotel de スラムの一室っていうのは、もしかすると、そこの子供の一人が大人になって首都に出てしまったあとの残った部屋なんじゃないかなって今更思う。埃の感じにしたって、実家の僕の部屋みたいだ。
どんな土地にも人間がいて、彼らには子供がいて、親がいる。驚くまでに、どんな遠くの、全く違う文化の大地でも、親と子との関係っていうのは芯のところで似たようなものがあったりする。
話がずれた。
自転車には夢があるべきだと思う。
自転車屋をしている時も、このページを作っている時にしても、あと小説なんかを書いたりするときもある。
でも、自分は自転車のことを誰かに語るときには、その人にいくらかの夢の欠片を伝えることが出来れば良いと思っている。
生きていくにはいろんなことがあるから、上手くいかないことも多いけれど。出来るかぎり、夢を誰かに伝えられるように生きていければと思う。
読んで下さった人に今日も感謝します。
Comments